ディック・ミネに憧れていた植木等は、「スーダラ節」の譜面を読み「この歌を唄ったら、俺の人生はおしまいだ…」と嘆き、レコーディングから逃げ回った。しかし、メンバーやスタッフの説得に折れ、渋々レコーディングに挑むが、植木等は、このレコーディングを、なんとたったの1回でササッと終わらせてしまったのだ。
スイスイ、ス〜ダララッタ〜という歌詞部分が、1番から3番まで微妙に違うのは即効性の強いアドリブ的な歌唱法の為だが、後の植木等の持ち味となる、あの笑いながら唄うという驚異的な歌唱法は、この時のなかば投げやりな気持ちが反映されたものであった。
そして、映画「ニッポン無責任時代」。初の主役である。自分なりの演技プランを披露しようとした植木等は、海軍航空隊パレンバン落下傘部隊に所属していたという、やたら威勢のいい監督(通称「パレさん」)に、いきなり怒鳴られた。
「君は大きな勘違いをしている!君が演じる平均という人物は、異常者だ!普通の人間じゃない、つまらん事はするな!」と。そして、演技の必然性や通常の人間の思考をまったく無視した不条理な演出で、ただただ勢いのある演技を植木等に求めたのである。植木等は困惑した。「これでいいのか…」と。
しかし、「スーダラ節」も「ニッポン無責任時代」も、植木等の思惑をよそに、どちらも大ヒット。植木等は、このスーダラで無責任なキャラという重いレッテルと、生涯付き合わされる事となってしまうのであった。
当時は、まだまだお笑いに対する認知度も低く、無責任男=植木等というレッテルそのまま、私生活でもあの調子なのだろうと、映画や歌の世界と現実の区別のつかない非常識な一部のファンのおかげで、植木等自身、かなりの迷惑を被ったようだ…。
そして、植木等自身、あの無責任男というキャラクターは、自分がもっとも嫌いとするタイプの人間であると、はっきりと語るようになり、世間が求めているものと自分がやりたい事のギャップに悩み続けた。
しかし、そんな植木等の悩みを知ってか知らずか、音楽をベースにした都会的でスマートな笑いと、社会風刺コントやサラリーマンコメディで人気を博したクレージー・キャッツは、日本の高度経済成長を象徴するかのように全速力で60年代を駆け抜けていくのであった。 |