1977年(日本公開1978年6月30日)スター・ウォーズ公開から、はや29年。
悪魔に魂を売った男アナキン・スカイウォーカー、ダース・ベイダーの誕生により、とにもかくにも、長年のスター・ウォーズファンには感慨深い、ようやくのサーガ完結となった。
本当のクライマックスは、クラシック三部作でご覧あれとばかりに、未来へ希望をつなぐ大いなる悲劇で幕を閉じた「エピソード3 シスの復讐」であったが、結局の所、新三部作はクラシック三部作の単なるプロローグ…、それ以上でも以下でもなかった。
それも、3作もかけて超大作のプロローグを作ってしまうとは…。ルーカス監督、相変わらずのビジネス上手である。
根本的にルーカスは、映画監督というよりも実業家。ルーカスの財産ともいえるクラシック三部作のファンやマニアは、それこそごまんといる。そのファンやマニアだけが楽しめる映画を作っても、ビジネスとして充分に成り立つと計算しての事であろう。
もちろん、新三部作でも善悪共に新キャラクターを登場させ、新たなるスペースオペラとしての展開を図るべく試みたが思うようにいかず、結局はクラシック三部作のキャラクターの使い回しである、保険という安パイに落ち着いたというのが本音の所だろうが…。
その結果、新三部作が回を重ねるごとに、自らの世界観をどんどん小さくしていってしまったのは言うまでもない。
クラシック三部作でスポット的に人気の出たボバ・フェットを再登場させたいがために、同じ姿で父親ジャンゴ・フェットとして登場させ、さらに、その父親が実は後の帝国軍のクローン・トルーパーの遺伝子を提供していたという設定や、運び屋ハン・ソロのよき相棒だったチューバッカと、ジェダイマスターのヨーダが実は知り合いだったという設定などが、その顕著な例だ。
生涯最高の傑作スター・ウォーズの呪縛から逃れられないのは、結局ルーカス自身だったのか?
緊迫感のないポッドレースやラストバトルの宇宙戦など、とにかく話がつまらない「ファントム・メナス」。
シーンごとの映像と音響は凄いが、たたみかけるような面白さが皆無で、いっこうに燃えない「クローンの攻撃」。
そして、パズルをはめこむように謎が解けるというよりは、むしろ強引にエピソード4へと繋いだと思える「シスの復讐」。特に、アナキンとベイダーの身長の違いや、「ジェダイの復讐(帰還)」でマスクをとって素顔をさらしたベイダーとの整合性をだす為のアナキンの悲惨な最期には、ブルーな気分に浸れる事うけあいだ。
お疲れさまでした…。
次はスター・ウォーズ
テレビ版との事。 もういいよ、という気がしないでもない…。 |