help me, please help me,　 　俺は死ぬのか？　 助けてくれ…

クローネンバーグ監督。そのいずれの作品も、変身または変化してしまった人間、特殊・異常な能力を持ってしまった人間の悲しさ、切なさを描いた秀作ばかりであるが、中でも本作「ザ・フライ」は「デッドゾーン」（1983年）と並び称される代表作となった。

物質転送の人体実験中のアクシデントによりグロテスクなハエ男と化してしまう科学者セス・ブランドル。徐々に変形していくブランドルの姿に怯え、うろたえ、悲しみながらも力になろうとする恋人ベロニカ。
映画が公開された1986年当時、1981年にアメリカロサンゼルスにて初めて症例が報告され、まだまだ未知の病気で理解される事のなかったエイズなどに比喩され、愛する人が突然伝染するかもしれない原因不明の難病にかかった時、あなたには何が出来るのか？という重いテーマと重ねられ高い評価を得た。
クローネンバーグ監督自身は、エイズではなく人間にとって避けられない老化と死をテーマとしたと語っている。

心配するベロニカに、理性までコントロールできなくなる恐怖にかられ「もう、俺にかまうな、逃げろ！殺すぞ…」と、言い放つブランドル=フライ。
しかし、「人」でなくなる恐怖に苦悩し、行き場所のなくなったブランドル=フライは、ついにベロニカに助けを求め「君と僕と子供と、合体して一緒になろう…、そうすれば今よりは人間らしくなれる」と懇願する…。
人間的な面影は微塵もなくなり、巨大な昆虫的生物と化したブランドル…。
ラスト、物質転送装置と合体してしまい、もはや歩く事も出来ないおぞましい物体以外の何ものでもなくなったブランドルを殺す事に、それでも躊躇しているベロニカに、自ら「殺してくれ…」と、悲痛なメッセージを送るブランドル=フライ。
病気に冒されるように、愛する「人」が「人」でなくなるのを、ただ見守ることしかできない悲劇…。

製作総指揮が同じメル・ブルックスの「エレファント・マン」など醜い外見を持ってしまった人間の差別的な悲劇を描いた作品は、それまでにも数多くあったが、ここまでラブストーリーに昇下した作品は記憶にない。
人を愛するとはどういう事なのだろうかと改めて考えさせられる…

ジェフ・ゴールドブラムが国内で初めて注目された映画でもあるが、そのギョロッとした大きな眼と、小刻みに体を震わせるハエ男の演技があまりにも強烈だったため、今でもなお、あの“ハエ男の人”と言われ続けるほどのアタリ役になっている。また、ジェフ・ゴールドブラムとその恋人ベロニカに扮するジーナ・デイビスは、本作撮影当時、実生活上も恋人同士であった。

そして、もうひとり、ブランドルとベロニカの愛に三角関係的な要素を持ち込むなど、重要な役どころで登場するのが、ベロニカが勤める会社の上司スタシス・ボーランズ(ジョン・ゲッツ)。
基本的にはラブストーリーにつきものの憎まれ役だが、彼というフィルターを通す事により、ベロニカの揺れ動く心が、観るものにより強く伝わってくるのだ。

人間の内面をえぐりだすように描写するクローネンバーグ作品。
ハワード・ショアのフルオーケストラによる、もの悲しくも重厚なテーマ曲がいつまでも耳に残る。
これはホラー映画ではない…。 (2008.02.11)