伝奇的なエピソードやメッセージ性の強いエピソードなど、"私"黒澤明自身がみた「夢」をモチーフにした全8話からなるオムニバス作品。
「夢には人間の心の中に眠っている、あるいは隠したり押さえ込んだりしているいろいろな気持ちが正直に現れます。そして夢はそれを驚くほど自由奔放な形で見事に表現して見せてくれます。私はこの映画でその夢というものに挑戦してみたいのです…」
これは黒澤明が本作「夢」について語った言葉である。数々の傑作を世に送り出してきた黒澤が、それでもなお創造する事に挑戦したいと語るこのメッセージこそ、1%のひらめきと99%の努力、そして常に変化する事を求める天才黒澤明ゆえの言葉であろう。
一般的に「夢」の世界の話には起承転結の無いものが多い。だからこそなのか、ストーリー性を求めて本作を観ると、とりとめなく話が続き、退屈な印象も受ける。
また黒澤は、これまで部分的に使う以外ほとんど使うことがなかった合成技術を導入し、ILMの特撮技術も多用している。もちろん予算的な都合もあったのだろうが、ストーリー性よりもまずは自分のビジュアルイメージを優先させ、もはや実写による撮影は不可能と判断するほど自身のイメージを膨らませていたのであろう。
しかし、第5話「鴉」のゴッホの絵画に迷いこむ"私"
の映像など、そのハイビジョン・システムによる合成は確かに目をみはるほどの美しさなのだが、第1話「日照り雨」の狐の嫁入り、第4話「トンネル」の整然と隊列を組むさまよえる兵隊、第8話「水車のある村」の桃源郷の描写など、合成技術に頼らない映像の方が強く心に残るのは、なんとも皮肉な話だ。
特に、狐の嫁入りのシーン。黒澤明以外の誰がこんな奇異で幻想的な映像を創りだせるだろうか…。
解像度が高く色鮮やかなハイビジョン映像。「どですかでん」でも見せた黒澤の絵画的な色彩感覚は、ここに見事に具現化された。
また、暗くアンダーな中にも黒つぶれのない階調表現、優しさを映しだすかのように揺れ動く木洩れ陽の表現など、その高解像度ゆえの表現力はハイビジョン映像の独壇場だ。
(2007/11/02) |