「鳥」はロマンティック・コメディ映画 サンフランシスコのペットショップで知り合った新聞社の社長令嬢メラニー(ティッピー・ヘドレン)と弁護士ミッチ・ブレナー(ロッド・テイラー)。 ラヴ・バード(つがいの小鳥)をきっかけに、サンフランシスコの北にあるボデガ湾のミッチの家を訪れたメラニーは、夫に先立たれ、息子に捨てられる事を恐れるミッチの母親リディア(ジェシカ・ダンディ)、リディアが原因で別れたミッチの元カノ、アニー(スザンヌ・プレシェット)と出会う。 途中、予兆のような鳥の襲撃シーンはあるものの、前半51分過ぎまで、映画はメラニーとミッチが徐々に惹かれあう様子と、メラニーとミッチの家族やアニーとの交流が描かれていく。 「鳥」は神からの黙示録 いよいよ後半、カモメ、スズメ、カラスの大群などによる凄まじい襲来劇が始まる。 不安に襲われ、お互いを求め合うメラニーとミッチ。 パニックとヒステリーを起こした母親リディアは、やがて本心をさらけだすようになる。 理解できない未知の恐怖を前にした家族は、ただひたすら生き延びようと結束し、どこかぎくしゃくしていた人間関係の隔ては消えてなくなる。 メラニーとミッチ、そしてこの一家を知るからこそ、観る者も同じ絶対的な恐怖を味わう事となる。 そしてアニーは、ミッチに対する未練を残したまま、為す術なく命を絶たれてしまう。まるで人間の無力さを象徴するかのように… そう、あの一見ぬるいロマンティック・コメディのような前半がこの後半に活きてくるのだ。 町の人々の恐怖も同様だった。 心理パニックに陥りメラニーを責めるヒステリックな婦人、恐怖と絶望から人間は過ちも犯す。 ガソリンスタンドでの惨事を、空からの鳥の視点で撮るヒッチコック。 鳥たちが人間を襲う理由、それは今もって不明のままである。 これは神からの警告か、それとも大自然の復讐なのか…。 「鳥」はサディスティック・ホラー映画 屋根裏部屋でメラニーが襲撃される、不気味な羽音だけの"サイレント・マーダー 無言の殺人劇"シーン。 そして、「サイコ」のシャワーシーンにも匹敵する短いカット割りの連続で、気の強いお壌様然としたバービー人形ティッピー・ヘドレンが鳥の群れに突っつきまくられ、血だらけになるシーンはよりホラー的でサディスティックである。 ヒッチコックは言う“たかが映画じゃないか” そのシーンにとってより効果的な演出は何かを求めるヒッチコック。 "ドアがなければ自分で作れ。"とヒッチコックにいわしめたミッチ達がブレナー家から外に出るシーン。 家の中から外に出るまでをワンカットで納めるためのもので、そこには存在しない透明のドアを開けると光が差し込んでくるというパントマイムのような手法だが、違和感のないその表現はあまりにも大胆。 “たかが映画じゃないか”と言ったヒッチコックの言葉の奥にあるもの。 それは型にこだわらず物事にとらわれない自由な発想。 そして、ヒッチコックはサスペンス映画の代名詞となった 撮影準備に約3年を要し、371箇所のトリック撮影を施し、ヒッチコック数ある傑作の中でもひときわ人気の高い「鳥」。 人間の持つ二面性、悪のない世界は存在しないと言いきり、ロマンスとサスペンスを融合させた映画の天才アルフレッド・ヒッチコック。 いよいよヒッチコックはサスペンス映画の代名詞となった。 「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」(1968)、「ウィラード」(1971)、「ジョーズ」(1975)、「サイン」(2002)、「ミスト」(2007)、「ハプニング」(2008)…等、前衛的な本作が、後の映画作家に与えた影響は大きい。 また、ミッチの妹キャシーを演じるは「SF/ボディ・スナッチャー(詳細はこちら)」(1978)、「エイリアン(詳細はこちら)」(1979)にも出演しているベロニカ・カートライト。(当時12歳で撮影中13歳の誕生日を迎える)子役時代から、すでに絶妙なる怯え泣き演技を披露している点も注目される。 (2010.02.13)