植木等主演の無責任シリーズ「ニッポン無責任時代」(1962年7月29日)、「ニッポン無責任野郎」(1962年12月23日)の大ヒットの勢いを受け、東宝は、渡辺プロ社長、渡辺晋との共同により、クレージー・キャッツのメンバーが、それぞれの個性を生かし、一致団結して活躍するというグループ主演作品を製作する。これが後に、植木等主演の「日本一」シリーズとともに、東宝のドル箱シリーズとなる「作戦」シリーズである。
もめ事をなんでも解決するという「株式会社よろずもめごとまとめや」を開業する調子良い上田ヒトシ(植木等)、得意の仁義でケンカやもめ事を仲裁する親分肌の花木ハジメ(ハナ肇)、泣き落とし作戦が得意の谷村啓太郎(谷啓)、おかまの弁護士・石山英太郎(石橋エータロー)、ポンコツ屋で示談屋の犬養弘(犬塚弘)と計算の得意な佐倉千里(桜井センリ)の凸凹コンビ、上田ヒトシを兄貴と慕うバカ真面目なワル・安井真(安田伸)ら、メンバー七人のキャラクターに合わせた役柄設定が秀逸。 メンバーそれぞれのキャラクターありきで、そのストーリーを作り上げていくという構成はおそらく渡辺晋やハナ肇の構想によるものであろうが、特に、いつも鼻毛を抜きながら神経質そうな素振りをみせる谷啓が印象的。 後の「作戦シリーズ」と比べると突き抜けた面白さはないが、各所に小ネタを効かせた味わいのある日本喜劇映画の王道的作品で、特に情に流されるオチなど人情喜劇風の趣だ。 中尾ミエ、池内淳子、淡路恵子、加東大介、沢村貞子(加東大介と沢村貞子は実の姉弟)、先日亡くなった2代目おいちゃん松村達雄、柳家金語楼、上田吉二郎、十朱久雄、坂本九、マーブルチョコの子役・上原ゆかりなど脇を固める出演者もオールドファンには懐かしい豪華メンバーで、バヤリースオレンジや、広っぱや空き地が広がる昭和の風景も、なんとも懐かし限りである。
LD巻末には、別バージョンや予告編の為に撮影されたシーンなど貴重な映像がてんこ盛りの劇場用予告編が収録されている。「ウェストサイド物語」ばりに足を高く上げたスチールで有名な箱根スカイラインでロケされた本編未収録の行進ダンスシーンは、この予告編内で数秒だけ見る事ができる。後のシリーズ代表作「クレージー大作戦」を彷彿させるシーンだ。 また、本編ラスト近く、上田ヒトシが留置場で見る夢と、予告編の冒頭に登場する大きな地球の模型は「キングコング対ゴジラ」(1962年8月)の冒頭に使われたものの流用だ。
インパクトに欠けた前作「クレージー作戦 先手必勝」の反省からか、強烈だった無責任というイメージを逆手にとってアンチ無責任として企画製作された本作。
1963年7月、同時期に公開された植木等主演の「日本一の色男」も、無責任男から有言実行タイプのスーパーサラリーマンに変身させているが、東宝と渡辺プロ、そしてクレージー・キャッツのメンバーらスタッフ一同の、無責任からの脱却という強いイメージ変更戦略を思い切って打ち出した意気込みが功を奏し、クレージー作戦シリーズのほぼ原形がここに完成する事となった。 自己否定という強い批判もあったようだが、結果的には、後のクレージー映画シリーズの長寿化に成功した要因ともなり、その意味からも大きなターニングポイントといえる作品である。
監督は、本作が監督2作目だった新人、坪島孝。映画全体の流れの中でのギャグを大切にし、なんともいえぬ可笑しさを誘う、そのアメリカンコメディ的な感覚は、古澤憲吾監督とはまた違った趣の作風でクレージー映画をドル箱シリーズに作りあげていった。 また、本作の重要な小道具である「ハッスル・コーラ」など、そのアイデア溢れる演出も坪島孝監督の持ち味である。
会社一の無気力社員である田中太郎こと植木等が、同じくダメ社員としてのレッテルを貼られたクレージー・キャッツのメンバーらと共に一致団結して活躍し、無責任な会社にオサラバするというサラリーマンコメディだが、いつもはスーパーサラリーマン役の植木等がモノクロ画面にショボくれた姿で現れる意外な展開の冒頭で、アッという間に映画に引き込まれてしまう。 そして、興奮剤入りのハッスル・コーラを飲みハッスルし始めると、モノクロ画面がみるみるうちにカラー画面に変わり、いつもの威勢のよい高笑いの植木等が現れるというのも、なんともツボを得たチャーミングな演出である。 時折、挿入される空想シーンもクレージーのコントを見ているようで楽しく、特に、丸の内のオフィス街を生き生きと行進するラストなど、当時のクレージー・キャッツの破竹の勢いを感じる事ができるパワー溢れる名シーンとなっている。
クレージー映画、初の海外、香港ロケを敢行。 当時の東宝は香港のキャセイ・オーガニゼイション(映画会社「MP&GI(國際電影懋業公司)」)と強い提携関係にあり、香港のスター尤敏(ユーミン)と「100発100中の男」宝田明を主演にしたロマンス映画「香港の夜」(61年)、「香港の星」(62年)、「ホノルル・東京・香港」(63年) の香港三部作を含めた8本を合作で製作している。 そして、この強いコネクションを利用して香港ロケを敢行したのが、「お姐ちゃん罷り通る」(59年)、「社長洋行記」(62年)などであり、この2作品を監督した杉江敏男が、その実績を買われ本作「香港クレージー作戦」でも監督を担当した。 若大将シリーズ第8作「レッツゴー!若大将」(67年)も香港ロケを敢行しているが、東宝映画のドル箱シリーズで香港とは無縁だったのは特撮怪獣シリーズくらいのものといっても良い(「北京原人の逆襲」などはあるが…)。
ちなみに、キャセイ社は、ロク・ワントー(陸運濤) 社長が1964年の飛行機事故で急逝してしまい、映画事業が急速に衰退。代わりに台頭するのがライバル会社であった、ランラン・ショウ(邵逸夫)が設立し、「キル・ビル」のオープニングクレジットでも一躍有名になった「ショウ・ブラザース(邵氏兄弟香港有限公司)」である。 「レッツゴー!若大将」(香港題名:逍遥青春)公開と同年の1967年に、香港映画史上初の100万ドルの興行収入を記録した大ヒット作品、ジミー・ウォング (王羽)主演の「獨臂刀」を製作公開するなど、ショウ・ブラザースの黄金時代がしばらく続くが、1970年にショウ・ブラザースの製作本部長だったレイモンド・チョウが独立しゴールデンハーベスト社を設立。そして、そのゴールデンハーベスト社からひとりのスーパースターが香港映画界にデビューする事となる。 そう、あのブルース・リーが「唐山大兄/THE BIG BOSS」(ドラゴン危機一発)で、香港映画史上最大のヒットをとばすのである。 「香港クレージー作戦」の香港ロケから約8年後の事となる。
と、大きく話がそれてしまったが「香港クレージー作戦」。 香港企業により立ち退きをくらった"のん平横丁"のクレージーの面々が、調子が良く頭の切れる第百商事の脱サラマネージャー植田等の元、一致団結して香港に乗り込み日本料理店を開店して成功するまでを描いた奮闘物語だが、なんと言っても本作で注目すべき点は、「演奏中のポジション取りなどの小さないさかいが徐々にエスカレートしていき、最後には楽器ともども全員ボロボロのヨレヨレ状態になってしまう」という、谷啓演出の音楽コントをクレージー映画で初めて見せる事であろう。 映画的なオーバーな仕掛けが逆に古臭さを感じさせもするが、それでももう二度と見る事の出来ない演奏シーン(あてぶりだが…)を、しかもカラーで見られるというのはうれしい限りだ。 ちなみに、映画の中でのバンド名はクレージー・マウス(ハナ肇が叩くドラムにミッキーマウスもどきの絵がある事からわかる…)。 なお、クレージーキャッツメモリアルに収録されている「植木等ショー」「クレージーキャッツ結成10周年コンサート」のステージでも同じような音楽コントを生のステージ上で披露しているが、臨場感溢れる面白さは、この映画の音楽コントの比ではない。 ※クレージー以前にも"あきれたぼういず″などの偉大なボードビリアン達がいたが、"あきれたぼういず″の歌謡漫談の流れを汲むのが"灘康次とモダンカンカン″や、あたしゃ、も少しィ〜背が欲しいィ〜ッの"玉川カルテット″など。そして、クレージーの流れを汲むのが、ザ・ドリフターズ、ドンキー・カルテット、ビジーフォー、サザンオールスターズだ。(えっ、サザンは違うって?…)
自分のキャラクターを楽しそうに演じている植木等やクレージーの面々もちろん、植田等の上司・有島一郎、第百商事社長・柳家金語楼、そして、人見明、由利徹など、顔をだすだけで、画面から可笑しさがにじみでるという名バイプレーヤー達も健在だ。 せっかく香港ロケしたにも関わらず、映画後半の香港に着いてからの件よりも、前半のクレージーの面々が香港に行くまでの顛末の方がイキイキしているのが皮肉な所だ。 当時の日本人が簡単に行く事の出来なかった海外旅行の雰囲気を映画館で味わえる事、それだけでも映画として成立してしまう時代だからなのであろうが、クレージーキャッツ人気と海外ロケという華やかさで映画は大ヒット。 前年の「ニッポン無責任野郎」に続いてのお正月映画として公開されたクレ−ジー映画は、完全に東宝のドル箱シリーズとなった。(2005.07.31)
"のん平横丁"の風情はおそらくセットではあろうが、東京池袋のナンジャタウンの福袋三丁目(現、福袋餃子自慢商店街)そのままだ。 また、クレージー・キャッツが、初の海外旅行を、映画の中の台詞よろしく"小学生の遠足気分"と同じように楽しんでいるのが手にとるようにわかるのが面白い。 浜美枝は完全にクレージー映画のマドンナとなった。
平和で呑気な遊星アルファからやってきたミステーク・セブン(谷啓)。その使命は地球から戦争という悪習慣をなくす事。 原水爆の開発や戦争を繰り返す地球人に危機感を募らせた遊星アルファの長官(植木等)からの命令を嫌々ながらも引き受けた遊星人ミステーク・セブン。 さしあたっては、戦争放棄を憲法で決めている日本に下り、交通事故に遭った鈴木太郎(桜井センリ)をボディスナッチャーし、その活動を開始するのであったが…。 東宝クレージー映画初の主演作となった谷啓。押しの植木等とは対照的な引きの谷啓、そのコメディアンとしての魅力を最大限に引き出す事に成功した作品である。 DVDのジャケットカバーからは、ひょうきん族のタケちゃんマンのような内容を想像するが、実際にはファンタジー色の強いコメディで、余韻の残るラストの秀逸さは、クレージー映画の中でも特に人気が高い。脚本は田波靖男、監督は坪島孝。 ミステーク・セブンである谷啓が、桜井センリの鈴木太郎の体に入ると、突如として桜井センリが谷啓に変わるのだが、劇中の登場人物には変わったようには見えない。(この演出が、悲しくも切ない名エンディングにつながるわけだが…)。 少年のように純粋で無垢な心を持ったミステーク・セブンが、地球人(日本人)と交わす珍妙なカルチャーギャップが映画前半の笑い所となる。鈴木太郎の隣に住むゆかり(野川由美子)、ミステーク・セブンの監視に現れた関西弁の零八=ゼロハチ(藤田まこと)との絶妙なカラミは、なんともいえない可笑しさだ。
自衛隊の存在意義、利益優先主義の企業。この世でお金で買えないものなんかないわ、と言いきり、平気で男と寝るヒロイン和子(星由里子)。そして、本音と建前をズバリと語る自称総理大臣の精神異常者(植木等=長官との二役)など、その展開は、当時としてはかなり過激である。 しかし、このファンタジーの対極にある痛烈な社会風刺こそ、かのチャップリンの風刺喜劇にも通じる大いなる笑いの魅力。 LD封入の解説書兼復刻版プレス・シート(1966.4)によると、当時の東宝は風刺ネタを宣伝材料にする事は得策ではないと考えたようだが、社会風刺を盛り込んだ本作を当時のキャッチフレーズ"明るく楽しいみんなの東宝"カラーに合わないと判断したのだろうか… これも時代だ。 同時上映は「アルプスの若大将」(→詳細はこちら)。 1966年の興行収入で2億7450万円、観客動員数250万人以上の東宝トップの興行記録をつくったのもうなずける豪華な2本立てだった(邦画全体の興行収入としては第8位)。(2009.06.21)