「ご臨終でございます…」
画面が暗転 し、大野雄二作曲の美しくも切ない「愛のバラード」が流れる。
1976年10月16日「犬神家の一族」が公開された。
角川春樹が、小説と映画と音楽のメディアミックスを自らのビジネスとして成功させるべく製作した角川映画第一回作品。メディアミックスによる大々的な宣伝手法は角川商法ともいわれ、とかく話題先行型ではあったが、実際にかなりの集客効果があり低迷する70年代の日本映画界を一気に盛り返した。
また、角川春樹の映画プロデューサーとしての卓越したビジネスセンスは、映画「犬神家の一族」の脚本にも少なからず影響を与えた。
まず、横溝正史の原作通りの着物と袴、おかま帽の金田一耕助を登場させる事。
殺し合いが行われている町にガンマンが現れ、事件を解決して去っていくというマカロニウエスタンのようなイメージを提示した事。
また原作には描写の無い、金田一耕助が探偵費用の報酬を受け領収書を書く一連のシーンを入れ、金田一耕助の真面目で几帳面な性格を誇張した事。
そして笑いのセンスを入れるよう求めた事など、映画の成功に大きく貢献する要素を提示した。
監督はスタイリッシュで洗練された映像を特長とする市川崑。
短いカットと台詞をつなげたテンポ良い演出と、さもありげな静止映像をジッと描写させる事により生まれる独特の緊張感。
犬神一族、その顧問弁護士、那須ホテルの女中、柏屋の主人、そして警察ら、それぞれの情報から徐々に事件の全貌をつかんでいく金田一耕助。
各所に散りばめられた伏線を探すのもミステリーの醍醐味だが、映画を見直す事によりわかる、さりげない伏線の張り方も見事。
まさに日本ミステリー映画の最高作と呼ぶにふさわしい出来栄えだ。
怪奇的で陰鬱な遺産相続殺人事件が発生する中、知的な石坂=金田一が飄々と動き、美しも切ないテーマ曲が映画を彩るという対比の演出も効果的だった。
「犬神家の一族」は、湖面から突き出た2本の足というインパクトあるビジュアルなどの宣伝効果もあり、17億5000万円の配収を上げるまでの大ヒットを記録した。
金田一耕助は事件は解決するが、殺人を事前に防ぐ事が無く日本一頼りない名探偵という不名誉な称号も与えられている。ちなみに金田一耕助の探偵としての殺人防御率は、主要10作品で4.2とダントツの悪さなのは有名な話だが、実はここに金田一耕助シリーズの大きな魅力があるのだ。
角川春樹は金田一耕助を、突然現れ去って行くというマカロニウエスタンのようなイメージとしたが、市川崑監督はそのアイデアにプラスして金田一耕助を「神様か天使のような存在」として、事の顛末を見届け解決して去っていくだけのものとして演出し、起こる殺人事件を客観的に見る傍観者として登場させたのだ。
劇中、佐武のお通夜の席、犬神家の不穏な空気をよそに「あの〜、紅茶いただけませんか?ボク、甘いもんが欲しくなっちゃった…」とつぶやく金田一耕助は、その典型的な演出例だ。
また石坂浩二は“金田一耕助とは古代ギリシア劇のコロスなのだ…”と語っている。中央で展開される破局へと突っ走る悲劇を、悩み悲しみながらも最後まで見届けるコロス。探偵こそは自ら犯人にならない限りは、主人公にはなれない運命を背負っているのだと…。
映画の主役は金田一耕助ではなく、地方の因習や血縁関係の因縁などの人間が生み出すドラマにあり、その事件にまつわる人物を丁寧に描写する事に主眼を置き、その結果ドラマに深みを与える事に成功したのだ。
石坂浩二演じる七代目金田一耕助は、映画のヒットと完成度の高さから、もっとも適役と言われているが、原作で描かれている金田一耕助の容貌を列挙すると、“容貌は取り立てていうほどの事はなく、小柄で、色は白く、人なつっこく、澄んだ目。クセは雀の巣のようなモジャモジャ頭をガリガリ
バリバリかきむしり フケをまき散らす、貧乏ゆすり、ヒューッと口笛も吹くなどである。※容姿は劇作家の菊田一夫がモデル。名前は言語学者の金田一京助からのものと横溝正史は明かしている。
石坂浩二と並ぶ金田一耕助といえばテレビシリーズの古谷一行となるが、映画版のみで限定すると“色は白く、澄んだ目”というハンサム系の容貌からいうと、本作の石坂浩二、「悪霊島」(1981年角川春樹事務所)の鹿賀丈史、「八つ墓村」(1996年東宝)の豊川悦司がイメージに近く、また“取り立てていうほどの事はなく、人なつっこく”という事からいえば「八つ墓村」(1977年松竹)の渥美清。「悪魔が来りて笛を吹く」(1979年東映※未LD・未DVD化・ビデオ有)の西田敏行が原作に近いという事になるのだろうか…。
生前横溝正史は、「八つ墓村」の渥美清がもっとも金田一耕助のイメージに近いというような話もしていたが、渥美清はやはり寅さんのイメージが強過ぎるのではないだろうか。(2008.01.20) |