●西部劇にサムライが登場!何でもありのスパゲッティ・ウェスタンの異色作! 1971年、フランス・イタリア・スペイン合作。ヨーロッパで作られたスパゲッティ・ウェスタンの異色作。 同年11月の日本公開では「007」の名匠テレンス・ヤング監督による3大スター夢の共演が話題を呼び大ヒット。 脚本には、黒澤作品で有名な橋本忍も参加したといわれているが、2大スターを向こうにまわした三船敏郎の堂々としたサムライぶりは、日本人にはうれしい限りだ。
クライマックス、三船敏郎が後ろからゴーシュに斬りかかろうとするシーンは、サムライらしくないという声もあるが、当時の時代劇の名文句「たんづつ(短筒)とは、卑怯なり!」という言葉を忘れてはいけない。さらに、相手は同門を殺し宝刀を奪った悪党なのだ。特に、ラストバトルのシチュエーションはサバイバル戦。後ろから斬りかかる行為に、まったくの違和感はない。 そして、ピストルと刀との対決は、どう考えてもピストルの方が有利に決まっている。逆に、ピストル相手に正面から勇敢に刀で立ち向かうというシーンにすると、外国人にはまったく理解できない行為という事になってしまうのである。重要なのは、むしろその後の、リンク(ブロンソン)との男の約束を思いだし、斬りかかるのを躊躇する事の方にサムライ魂をみいだすべきなのである。
口の動きと声から察すると撮影は英語で行われ、三船敏郎も台詞は多くないものの、本人が英語を喋っているようだ。冒頭、ゴーシュに殺される名室源吾役の(「ワンパクでもいい、たくましく育って欲しい」というCMで有名な)田中浩は、よく見ると三船敏郎に似ているが、劇中の三船敏郎のスタント役も兼ねていた。
三船敏郎は、「スター・ウォーズ」(1977年)のオビ・ワン役のオファーを、黒澤信者のルーカスより受けるが、SF映画には興味がないと言って、これを断ってしまう。そして「スター・ウォーズ」は、ご存知のように記録的な大ヒット。 当時ほとんどの映画関係者は「スター・ウォーズ」がこれほど大ヒットするとは考えもしなかった事なので無理もない話なのだが、その後、「1941」(1979年)への出演オファーを受けた三船敏郎は、今度こそはとばかりにこれを快諾。しかし、出来上がった作品を見た三船敏郎はその扱いに憤慨し、さらに映画は大コケ…。 そしてまた、今度は「ベスト・キッド」(1984年)のミヤギ役のオファーを受けるが、もう懲りた、とばかりに再びこれを断る。すると、なんと映画は、またまた大ヒット!さらに、ミヤギ役を射止めたノリユキ・パット・モリタはアカデミー助演男優賞にノミネートされるという成功までおさめてしまう…。 偉くなりすぎたのか、世界の三船。晩年のなんとも不運なエピソードだ。(注:ミヤギ役のエピソードの情報ソースは、2004年2月14日テレビ朝日放送の「ビートたけしのこんなはずでは!2時間まるごと映画スペシャル」より) また、「ジェダイの復讐」(1983年)でマスクを外すダース・ベイダー役のオファーも受けているのだが、これも断っている。ちなみに、ルーカスは「ジェダイの復讐」で、初めてベイダーがアナキン・スカイウォーカーとして素顔をさらす際に、演じるセバスチャン・ショウに、三船敏郎を意識したメイクを求めたといわれている…。(2004.01.23加筆)