1961年4月25日公開「用心棒」から約8カ月後の1962年1月1日公開。 どこをどうほっつき歩いたのか、いつのまにか文無しになっちまった三十郎は、旅籠賃がかからない、とある城下町の社殿を一夜の宿に決めこんだ…。
黒澤明が前作「用心棒」で創りあげた三十郎という人物は、観る者の想像力をかきたててくれるとてつもなく大きな男だ。あばよ、と肩を揺すりながら、いずこともなく去って行った三十郎。面白い映画を見終わった満足感とともに感じる、三十郎との別れの寂しさ…。 そして、その余韻は、果たして三十郎はどこへ行くのだろう、次なる宿場では、何をしでかすのだろうかという思いに変わる。そう、主人公に思いをはせるとは、まさにこの事。三十郎とは、それほど人を惹きつける魅力を持ったキャラクターなのであった。
「椿三十郎」は、山本周五郎の「日々平安」を原作とした脚本を改版したものである。 「用心棒」の前にすでに出来上がっていたという「日々平安」の脚本は、原作にほぼ忠実で、主人公は智力には長けていたが剣の腕はすこぶる弱かったという。 東宝は、そんな弱虫が主人公の映画化に難色を示していたが、そこに「用心棒」の大ヒットがくる。 いずこともなく去って行った三十郎が、見事にここにはまった。 「日々平安」の弱い主人公、菅田平野を、腕も立つが頭も切れる三十郎にすげかえたのだ。 優れたキャラクターは時として勝手に動きだす。後は三十郎という特異なキャラクターが暴れ出し、映画を作っていった。 そして、「椿三十郎」は完成したのである。
"長い恐ろしい間があって、勝負はギラッと刀が一ぺん光っただけできまる。"と脚本に記された日本映画史に残る伝説の三十郎と室戸の対決。 あれほど大量の血が人間から一度に噴き出るのか?馬じゃないんだからと、さすがの黒澤もやり過ぎと思ったらしいのだが…。 室戸半兵衛役の仲代達矢は、酸素ボンベによる激しく吹きあがる血の噴水の圧力により、体が浮きそうになったと語っているが、足を踏ん張りながらのあの必死の形相はさすが。 「用心棒」「椿三十郎」とも、三船敏郎をいっそう際立たせたのは、すべてこの仲代達矢の名演の賜物。絶頂期の黒澤明を知る数少ない現役名優の一人である。 また、対決シーンの後、当初の脚本では、“倒れた室戸半兵衛を見降ろしている三十郎の額からも一筋の血が流れる”という設定になっていた。脚本を読んだ助監督達スタッフは、かつらにホースを通しあれこれ研究したのだが、「あ、あれはやめた。」という黒澤監督のあっけない一言で中止となったという。
黒澤明は続編をつくらない主義だ。「椿三十郎」も、実際には続編、いわゆる「用心棒2」ではなく、前作「用心棒」のキャラクター設定をそのまま活かした、まったく別の話となっている。 元々が、山本周五郎の「日々平安」を原作とした話であるから、「用心棒」の続編(*1)ではない。 さらに、「用心棒」では江戸末期、幕末が舞台だったが、本作ではお家騒動が物語の中心である事から江戸時代前期と考えられ(*2)、若大将シリーズ(詳細はこちら→)と同じような東宝お得意のパラレルワールド的な続編とも考えられる。 (*1)「用心棒」初登場時の三十郎は、大小二本の刀を差していたが、新田の卯之助に正体を見破られ、半殺しにされ逃げ出した後は一本刀になっている。そして「椿三十郎」では登場した時からすでに一本刀である事、また薄汚れた着物もまったくそのままである事から、時系列的には続編の扱いともされている。 ちょうど「荒野の用心棒」の主人公の名無しが“薄汚れたポンチョ”を最初に着るのが「続・夕陽のガンマン」である事から、「続・夕陽のガンマン」の方が時間的には前作とされているのと同じ設定だ(詳しくはこちら→)。 (*2)国内盤DVDジャケット裏には、「用心棒」と同じく江戸末期と記載されている。(2007.10.08一部加筆)
「椿三十郎」公開後、東宝から「三十郎」シリーズをもう1本とリクエストされた黒澤は、「もう無いよ!」と怒ったといわれているが、黒澤の頭の中には「三十郎」完結編の構想があったとも聞く。漠然とだが、普通の死に方はさせない、と酒の席で語っていたようだ。 黒澤自身も、三十郎というキャラクターに強い思い入れがあったのだろう。 しかし、黒澤と三船の三十郎の新作は、もう永遠に観る事はできない。
この後、三十郎というキャラクターは、三船敏郎のはまり役になり、座頭市シリーズ最大のヒット作「座頭市と用心棒」(70年)では"佐々大作"として、また、五大スター共演の「待ち伏せ」(70年)では"名無しの用心棒"として登場する。さらに、テレビシリーズ「荒野の素浪人」では、"三十郎"の三倍強い"峠九十郎"としても登場している。特に、「荒野の素浪人」では、三船敏郎自身が直接手紙で、黒澤明にキャラクター設定使用の許可を得たという。
単品盤のみの専用ブックケース入りトールケース仕様。スクイーズ収録。 シナリオに沿ったムービングチャプター、豪華解説書(国内新盤LD解説書に掲載されているものと一部同じ)、日本語字幕付、ピクチャーディスク仕様。 オリジナルモノ音声、3チャンネル・ステレオ=パースペクタ・ステレオフォニック・サウンド(※本編オープニングタイトル左下にマークが表示される)、5.1chリミックス音声収録。 特典映像には、予告篇の「特報」(22秒)が初収録。 特典映像シリーズ「黒澤 明〜創ると云う事は素晴らしい〜椿と決闘」(34分44秒)は、小林桂樹、土屋嘉男、田中邦衛、仲代達矢ら出演陣のインタビューと黒澤組おなじみのスタッフが語るメイキングドキュメンタリーで、三十郎と室戸の対決を創りだした一人、殺陣・剣技・武家作法指導を担当した久世竜の弟子、久世浩が三十郎の「逆抜き不意打ち斬り(さかぬきふいうちぎり)」の殺陣を実際にやってみせるなど、かなり充実した内容となっている。本黒澤DVDシリーズのメイキングはいずれも面白いものばかりだ。
「椿三十郎」は「用心棒」と比べてコミカル色が強い。 捕われて押入れに入れられる敵方の侍(小林桂樹)とともに、ノホホンとした風情で映画に絶妙なリラックス感を与える城代家老の奥方(入江たか子)とその娘(団令子)。劇中ずっと、会話の中だけで登場し、最後にようやく姿を現す城代家老(伊藤雄之助) の扱いも巧い。 椿屋敷の見事な椿は、すべて造花。劇中、赤と白のどちらの椿を合図として流すかで、城代家老の奥方とその娘が天然ボケをかまし、三十郎がなんともコミカルな仕草と絶妙な間で突っ込む。そして、これが後になって、ピンチに陥った三十郎の機転につながるという脚本の見事さ。 そして天然だが人を見る眼がある奥方に「あなたは抜き身の刀のよう。でも本当にいい刀は鞘に入っているもんですよ…」と言われる三十郎。この一言で映画「椿三十郎」は、ぐっと深みが増した。人間としての在り方生き方を、これほどわかりやすくさらりと語ってしまう黒澤明は、やはり天才だ。
ちなみに、赤い椿をモノクロ映画でより赤く見せるために、白い椿ひとつひとつを黒く塗りつぶした黒澤明。もともとは赤い椿にだけ合成のパートカラーで色をつけたかったらしいが、技術的な問題で止めた。そしてこのモノクロ映像にワンポイントで色をつけ、強い印象を残すという発想は、次作の「天国と地獄」の煙突の煙につながる。 また、黒澤明は加山雄三の自然体の演技をかなり気に入っていたようだが、加山雄三自身も黒澤映画への出演をきっかけに、映画に対する情熱に目覚めたと回想している。 本作「椿三十郎」では、刀を抜く時以外は本身の刀(真剣)を差していた加山雄三。本物の刀があまりに珍しく、近くの木や枝を面白がって切っていたが、小道具係に大事な刀が刃こぼれしてしまうと叱られた。しかし、黒澤明はその小道具係に向かって「加山はこうやって侍の立ち居振る舞いを覚えていくんだから怒る事はない!」と言い放ったそうである。
音楽テープとして残る「椿三十郎」の音楽を、映画で使用されている順にすべて収録した完全サントラ盤。解説書封入。 本完全盤黒澤明シリーズのCDジャケットは、どれも渋い。 絵コンテをあしらったピクチャーディスクをケースから取り外すと、その下には、その絵コンテを元にした本編映像のスチールが現れるという凝ったパッケージ仕様となっている。 ちなみに本ジャケット写真の門番(足軽)は、東宝おなじみの堺左千夫だ。